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【亞】の玉手箱2

【亞】の玉手箱2

苦しみのただ中にある方へ捧げます

苦しみのただ中にある方へ捧げます。


苦しみの時の二重構造【坎為水】(習坎)

 
坎為水の卦は、苦しみに習うことを教える卦です。
六十四卦には四大難卦といわれ、
もっとも困難と上げられる四つの卦があります。
坎為水はその一つで、
人生に一度あるかないかという大きな苦難、
時には生きる気力すらを失ってしまうような
苦しみの時をあらわしています。


会社の倒産やリストラ、金銭苦、対人関係で争い事、
まして、家族や大切な人を突然失ったり、
深刻な病を告げられたりすれば、
動転して何も考えられなくなります。


このような苦しみの時を
いかに過ごしていったらいいのか。


《習坎は、孚あり。維れ心亨る。
 行けば、尚ばるることあり。》


坎(水)の属性は険難、困難、苦難、
そして信実をあらわします。
坎は土が欠けると書いて、「穴」の意味もあります。


「習」の象形は祈りの際に、鳥の羽を何度も繰り返し
こすり合わせて祈願した様子をあらわしています。
そこから「繰り返す」の意味をもちます。


「習坎(しゅうかん)」とは、
深い穴に陥るような苦難が重なって繰り返す、
険難また険難の時なのです。
たとえば、会社が倒産した心労から病に倒れる、
リストラされて借金苦に陥る、
苦しみのために責め合って、激しい争いになるなど、
坎為水の時というのは、苦しみが、
なお一層の苦しみを呼び、度重なるという
時の構造になっています。


聞いただけでも、気が滅入ってしまうような時です。
私たちは苦しみに対して恐怖感をもちます。
できれば逃れたいと、
無意識のうちにも逃避本能がはたらくものです。
しかし、逃れようとして、もがけばもがくほど、
深い穴また穴に陥ってしまいます。
手足をバタバタさせて、水に溺れる時に似ています。
パニックに陥ってもがけば、深く沈んでいってしまいます。


しかしそんな険難の時も進んで行くことで、
尊ばれるような実りがあるだろうと記されています。


《習坎は、孚(まこと)あり。》


「孚」は「爪」と「子」からなる字で、
象形は、親鳥が卵をつかむ様子です。
鳥の爪は、本来しっかり枝につかまったり、
猛禽類ならば、獲物をしとめる役目しますから
鋭くとがって、卵をつかむのには向いていません。


そこで親鳥は卵をあたため返す時に、
爪で殻を破らないようにそうっと
細心の注意をはらいます。
親が子を思う、誠心誠意の真心を「孚」といいます。


苦しいからと自暴自棄にならず、
自らの苦しみに誠心誠意をもって対処するという意味です。
大変な苦しみの中にいる人がいたなら、
周りはそっと見守ります。
それも「孚」の真心です。


また卵は、ふ化するまでの日数が決まっていて、
期日の時を違えずかえることから、
「孚」には、「信」、約束事、信じる心、
信念という意味もあります。
 

卵の中身はまだ実になっていない、
割れれば流れてしまう、虚しいものです。
虚しさ、苦しみを子を思うような真心でつかみ、
温め続けたなら、
《維(こ)れ心亨(とお)る》。
その誠心によって、
苦しみを乗り越えられるというのです。
 
 
苦しみを脱する術はただ一つ【坎為水】


「水」の字は、八卦の坎(水)の象を、
縦に回転させたものが基になっています。
虚(陰)にはさまれた中を、
陽(実)が貫いています。
孚と信念が、虚しく苦しい時を貫くのです。


《彖に曰く、習坎は重険なり。
水は流れて盈たず、険を行きてその信を失わざるなり。
維れ心亨るとは、すなわち剛中なるをもってなり。
行けば尚ばるることありとは、往きて功あるなり。
(中略)険の時用大いなる哉。》


水の性質というのは
流れるところがあれば流れ、
常に動いて止まらず、
岩にぶつかろうが、状況がひどく険しくとも
流れていくという性質を失いません。
また、水は丸い器に入れたら丸くなる、
物の形に従う柔らかい性質をもっています。


この水の性質が「信」をあらわします。
険難の時は、進んでいかなければ、
いつまでも苦しみの渦中にいることになります。
険難を脱するには、身は危うく、
何も対処できないような状況にあっても、
抗ってもがいたり、立ち止まらず、
時の流れのままに進むことです。


それは、朝起きて、食べて、寝るといった
ごく基本の日常生活を送ったり、
問題に対して、できることだけを
少しずつやっていくことでもあります。


「時が解決する」、
また「時間薬」などとといいますが、
水の性質に倣い、
流れるような心をもって毎日を過ごしていったなら、
やがて力を抜いた人の体が水にふっと浮くように、
苦しみの渦中を脱すると教えています。


《行けば尚ばるることありとは、
 往きて功あるなり》の「行」は進む、
「往」は、意志と信念を持って進むということ。
険難を行き、渦中を脱してから、さらに時とともに往けば、
経験した苦しみがやがては「功」になるといいます。
 

《険の時用大いなる哉》


「時用」とは、できれば避けたい坎為水の
険難のような時をあえて用いること。
苦しみを誠心誠意で抱え、あたため続けていけば、
卵が期日をむかえて雛にふ化するように、
「虚」は「実」に変わります。
その時、実となって生じるものは大きいのです。


卦の名前は坎為水ですが、
古くからこの卦は「習坎」と呼ばれ、
先人は繰り返し険難の時に習うことを意味する
この言葉を畏(おそ)れ、尊んできました。


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